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2006年06月22日

四天王・添野師範逮捕で明るみに出た極真会館の大スキャンダル(前編) (噂の真相 81年1月号)

レポーター 池田草兵(ルポライター)


極真の実力者・添野逮捕の不可解さ

 九月十九日、午前六時。埼玉県警の機動隊一〇〇名がバス二台に乗って、極真会館都下・埼玉支部長・添野義二師範の恐喝未遂容疑にたいする家宅捜索ならび逮捕のために、所沢市美原町の添野道場に到着した。
 その、数時間前には毎日、読売、東京新聞をはじめ、各スポーツ新聞の社会面に"極真の猛虎・添野逮捕"の記事が用意されて輪転機のなかで捻りをあげていた。
 このような事件は、逮捕取り調べが進展して犯罪が立証できるようになって各報道関係に発表されるはずだが、すでに逮捕の前日には埼玉県警捜査四課から情報が流されていた。添野師範自身も家宅捜索の過程で、新聞の記事をみながら逮捕されたのではなかろうか。記事の内容は、添野師範の自叙伝『いつの日か男は狩人』(けん出版発行)を、同じ極真会館の岩見弘孝氏を脅迫して販売したというものである。
 同事件では極真会館西野希智堆(態谷支部長)、高橋高志(川越支部長)も逮捕されたが、この二人は現在、極真会館道場を再開している(その事情については後述)。
 ここに一見単純な恐喝事件が実は、極真会館内部の関係者が絡み付いた、ドス黒く根の深い複雑な事件であることが窺える。結局、警察では、目下処分保留のままとなっている。新聞記事にあった自叙伝の強制的な販売(恐喝)に関する被害届はその後、一件も警察にでてこなかったのである。
 やむなく別件の恐喝未遂容疑を新たに用意したが、これも極真会館内部の密告者によるものであった。前回と同様密告した人物まで、が逆に逮捕されるという添野再逮捕劇であった。
 手の混んだ別件再逮捕劇の裏側には、警察としての体面もあったと思われるが、極真会館の内部事情が添野事件に関与していたためでもある。
 筆者、添野事件の取材を開始した時、極真会館にたいする一つのイメージ(恐怖感覚)を持っていたが、そのイメージをいったん白紙に戻して、ジャーナリストとして取材を敢行していくうちに、劇画(空手バカ一代他)やマスコミで活字になっている極真会館は商業的な側面があるにせよ、あらゆることが虚像でぬり固められていることに驚いた。これについて、新格闘術黒崎道場の黒崎健時師範は「マンガはマンガとして見るべきで、マンガにのせられるのは異常だ。実名が登場するから錯覚をおこすんだよ」、そして「極真会館の大山倍達館長についていえば、マンガとか本で書かれていることを逆に解釈すれば間違いはないでしょう」と明確に語ってくれた。
 添野事件の取材が進行していくうちに、極真会館は実像と虚像が織り交ざっており、虚像ともいえる部分を剥していかなければ、真相はなにも書けなくたってしまうことが明らかになってきた。筆者としては、勇気をもって筆をとることにした次第である。
 残念なことには、極真会館館長大山倍達氏に添野事件について取材を申し込んだが、女性事務員に「大山館長は全国大会で忙しいので」と断わられ、再三取材を申し込むと事務担当のイトウ氏を通じて「愛弟子については、なにも語りたくない」との返答があっただけであった。一方「事件の当事者添野師範も「事件で迷惑をかけたので、いまは反省しており自重したい。だから事件に関しての取材はいまは勘弁してほしい」とのことであった。
 まさにマスコミタブーへの挑戦というわけだ。


四天王添野師範逮捕のシナリオ

 添野師範は、極真会館の四天王の一人として活躍してきた。十六歳のときに入門して十七年間、極真会館館長大山倍達氏を師と仰ぎ空手の道を純粋に突き進んできた男である。その彼が、結局大山館長に裏切られ、陰謀と内部抗争によって、三十三歳の誕生日を一人留置場で迎える破目となったのである。事件を境に極真会館を除名され、現在新格闘術『士道館』の首席師範として創設の準備に奔走しているという。
 事件の発端は、逮捕される二ヶ月前の七月中旬に溯る。当時極真会館の都下および埼玉地区の責任者であった添野師範は所沢市、熊谷市、川越市等の主だった都市や伊豆の大島などに分支部を設置していた。極真会館本部(池袋)を取り囲むように、その数三十カ所、最大なる支部に成長させた功労者でもある。
 極真会館の支部組織は、全国各地を区割し各支部が重複しない措置が採られている。ところが、埼玉県戸田市に西田幸雄氏が極真会館道場を開設したことから、本事件の内部抗争が始まるのである。
 埼玉地区の責任者である添野師範に、なんの相談もなく道場を開き、目と鼻の先(約一キロメートル)にある添野道場蕨支部の周辺にポスターを貼りまくったのである。某師範は語る。「添野に一言いってやれば協力して仲良くやっていけたのに、添野が再三再四電話しても不在だし、連絡もくれないので大山館長に会いに行って相談したらしい」。
 ところが、大山館長に「盧山初雄が全国大会のチャンピオンになったら、どこへでも道場をだしてやると約束したので、戸田は盧山、の支部にする」といわれたらしい。盧山初雄氏は極真会館本部の許可を得て埼玉南支都長に着任し川口に道場を開設したばかりであった。“添野道場側は西戸田支部長にたいして「礼儀として武道をわきまえることをしてもらいたかった」とのべているものの、極真会館の添野師範にたいする陰謀はその頃から巧妙な手口によって正体を現わし始めていたようだ。添野本人も薄々気がついていながらも、この時点では半信半疑であったようだ。
「以前、盧山川口支部長は、北朝鮮の大川という人物がスパイ容疑で警察に逮捕されたとき、盧山も関係しているということで極真会館を除名されていた。ところが、どういうわけかそれを簡単に復帰させたことがある」と極真会某師範が語っているように、いったん除名処分になっても簡単に復帰できるケースもあるようだ。さらに極真会館を去った山崎照朝氏も「極真会館のおかしいところは、除名になった人間がある日突然復帰するところだ」と指摘する。
 除名処分を食っても、何らかの根拠と本人の自己批判があれば、すんなり復帰させるというのも、ひとつの"見識"ではある。それが添野師範の場合には適用されたかったところが、いかにも"ご都合主義"を思わせる。


大山ワンマン体制下の内部抗争

 マスコミで活字にこそなっていないもののいま、極真会館内部にあるものは陰謀と矛盾、虚像と実像がうずまいている。多くの優秀な武道家たちも極真会館を去り離れていった。
 黒崎健時師範、大沢昇師範、中村忠師範、第一回世界大会のチャンピオン佐藤勝昭師範、山崎照朝氏、芦原英幸師範、二宮城光師範、そして添野義二師範と名を出したらきりがなくなる。そのなかには、自ら脱会した武道家もいれば除名になった武道家もいる。その武道家の人たちは「極真会館にはいかなる理由があれ戻らない」という。
 これだけの人物が極真会館で育ち成長し集まったのは確かに事実だ。ある意味では武道家としては一流の人たちである。言葉では言えない超えたものがあればこそ一流の才能のある武道家たちが極真会館の名のもとに集まり、精神を肉体を鍛え一流の武道家として成長したのである。そして、去っていった−−。
 なぜなのだろうか、添野事件を通していろいろな武道家たちに意見を聞くと「大山館長という人は、自分の弟子が大きくなると締め出すんですよ、普通なら喜ぶが大山館長は反対なんですよね」と去っていった武道家たちは口々に語ってくれた。そして「大山館長にしてみれば、添野君が伸びて力が大きくなると恐しくなって手を打ちはじめたんです」ともいう。
 元極真会館某師範は大山館長について、「自分は神様だ、カッコいいと思っており、それで添野を悪者にした。師弟とは親と子の関係も同じだ。それを自分の子供が悪いことをしたからといって突き落す。親なら自分の子供が悪いことをしたらかばうものだ。それを平気で大義名分の為に突き落す大山館長は神様でもなんでもない」と怒りをぶちまける。
 この発言のなかに極真会館の虚像ともいえる部分が窺える。それは、神様大山倍達が存
在していると同時に実像の部分で人間大山倍達が存在しているのであろう。ときとして人間は実像と虚像を履き違えるものである。神が大義名分にこだわるだろうか、自分の立場にこだわるだろうか。そんなことを考えるのは人間だけである。最近除名になったA師範は、「僕は人間で結構、神様なんかにはならない。大義名分はどうでもいい。賊軍結構。もし武将の時代だったら僕は殺されていますよ。織田信長の本能寺のときのように。もし大山館長を殺してもいいと言われれば殺してやりたいですよ。現代ではそんなことは許されませんから、こちらからはやりませんがもし、僕に万が一があったら、それは大山館長の仕業であると言い切れます。そのときのために決死隊をつくったんです。道場生のなかには大山館長を殺すといっている連中もいるが、こちらからは絶対に手を出してはいけないって言い聞かせてあるんです。僕が殺されたときに殺れってね」
 と、語るA師範の言葉にはいまの率直な心境が表われているようだ。そして「大山館長に殺られる可能性はありますよ」と語った裏には、一年半前に大山館長の指令で、北海道の高木支部長が四国の芦原支部長を殺しにヤクザ者(拳銃所持)を一人つれて、北海道から船に乗って四国に渡ったことがあるからだという。四国に着いた高木支部長は芦原師範に電話して「大山館長の命令で殺しに来た」といって通達したが、逆に芦原師範に返り討ちにあって片目が失明してしまったのだという。このとき高木支部長と一緒にいたヤクザ者は拳銃を持っているのにも拘らず逃げてしまったのである。
 ここにも、極真会館の内部抗争はあったのだ。極真会館の内部抗争と陰謀は組織の宿命として常に存在しているのであろう。陰謀と内部抗争に関係しない唯一の方法は強くならないことだ。だが、武道家としては強くならなくては意味がないわげだから、ここにジレンマがある。添野師範も内部抗争の被害者の一人であることだけは確かなようだ。


自叙伝恐喝未遂事件の"真相"

 はなしは前に戻るが、添野逮捕のニカ月前に極真会館内部の人たちによる、添野師範の追い出し作戦(陰謀)が極秘のうちに進められていたのである。結局、機動隊員一〇〇名が動員され家宅捜索、逮捕といったなんともモノモノしい大袈裟な行動が狙いであったのだろう。
 山崎照朝氏は「最初、はなしを聞いたときはビックリしたんです。(添野は)拳銃は持っている、麻薬はやっている、傷害だ、博打はやってるで二十件位の犯罪があり懲役五年は間違いないっていうんですよ。間違っていたら腹を切るなんていう人もいて驚いたんです。この話は、添野が逮捕される二週間ぐらい前に大山館長から直接聞かされました。大山館長はオロオロして、心配しながら僕に何度も相談されました」
 七月中旬には、すでに警察は内偵していた。建築会社のSさんが「七月二十五日頃だったと思いますが警察から電話があって、添野さんが恐喝をやっているっていうんですよね。そんあことをするような人間ではないといったんですが……」
 自叙伝『いつの日か男は狩人』は、新聞などの報道によると、"自費出版"と書かれていたが、地元(所沢市)の唯一の出版杜である「けん出版」が、実際は、添野師範の功績を認めたうえで発行したものである。現在、発行部数は二万五千部で事件が報道されてから、かなりの返本があり、停滞打撃を受けているという。けん出版の社長浅野兼次氏は、「まるで、恐喝するためにつくった本みたいにかかれているが、一度もそんな事件はなかったんです。岩見という人は添野師範といっしょに極真に入門したが、いつも添野師範のことを自慢していたんですがね」とその間の事情を語ってクビをかしげる。
 自叙伝に関する恐喝未遂事件の真相について関係者の証言を総合すると、所沢のスナック『バロン』で福田という友人と一緒に酒を飲んでいた岩見氏が、添野道場の門下生のイノマタ氏(元キック・ボクサー)がくると、急に添野師範の悪口を言ったのである。イノマタ氏が注意すると岩見氏が突然殴ってきたのであった。殴られたイノマタ氏が驚いて殴り返すと喧嘩になったのである。このことに腹をたてた岩見氏が警察に殴られたことだけを告げたため、イノマタ氏は警察に呼ばれて事情を聴取された。警察では原因が岩見サイドにあることを知ったので、今度は岩見氏を呼び出して説教をしたのである。自分の方に分がないのを知ると、添野師範の悪口とイノマタ氏の両人に謝罪すると共に、添野師範の自叙伝二千冊を購入することを自分の方から約束していったという。(実際は本は一冊も購入していなかった)
 これが新聞などで報道された自叙伝の恐喝未遂容疑である。当然、起訴されず処分保留になったのは先に述べた通りである。埼玉県警は体面を考えたのかそれとも、極真会館と何か関係していたのかは不明だが、別件の恐喝未遂容疑を用意したのである。それも極真会館の関係者同士の事件であった。


他の関連事件の"真相"

 まだある。吉川元入間支部長(極真会館)の頭髪を剃ったことで起訴になった事件である。吉川元入間支部長は暴力団の準構成員あつかいされている人物。“一年ぐらい前には、拳銃の不法所持で逮捕されたり、所沢駅で無低抗の駅員を外人と二人で撃って逮捕されたこともある。このとき、添野師範は破門を申しわたしたのである。以前入間市で、闘道会館という空手道場をやっていた(現在閉鎖)吉川元支部長は、添野道場清瀬支部(小林茂雄支部長)の女性門下生E子(当時女子高生)に手を出して、女房子供をほったらかしてE子と深い関係に落ち込んでいった。このとき以来E子の性格は変わり、夜遊びはするし派手好みになっていった。このことを心配した両親に相談を受けた添野師範は、吉川元入間支都長のところにいって説得したが聴き入れず、妻子を捨てE子と同棲するようになった。添野師範としては捨て置けず再び説得すべく吉川元支部長のところに行ったら、狭山警察署のパトカーを呼んだりしたという。結局、狭山警察署員から「よく話し合いなさい」と言われ、数日後吉川は兄と一緒に添野道場を訪れたが、反省の色は見せず、逆に「添野師範の奥さんが道場生とあやしい関係にある」などと言い、添野はやむなく頭を坊主にしたという。この世界によくある話である。もし、これが犯罪ならスポーツの世界は犯罪者だらけになってしまうではないか。
 ついでにもうひとつの事件を紹介すると、高橋川越支部長(極真)が証券会社の社員A氏に、無断で名前を使われ、数百万円の損害ができたので脅してくれと添野師範が頼まれた一件だ。高橋川越支部長は「会社の社長だから舐められたら困る」といって証券会社のA氏を添野道場に呼び出した。このとき、添野師範はかなり強く脅したことを本人も認めているという。証券会社のA氏は「一五〇万円で勘弁してくれ」と頼んだが高橋支部長は納得しなかった。(添野師範はその日以降一度も証券会社のA氏とは会っていない)その後日、数回にわたって五百万円を取ったのは、高橋川越支部長であった。そのお礼として一五〇万円を添野に渡したらしい。高橋川越支部長、西野熊谷支部長の二人は、添野事件に関係して逮捕された、ところが、彼ら二人は現在極真会館の支部長として存在しているのは前述した通り。除名されるべきはずの両名が極真会館のなかで大手を振るっているのは、なんとも不思議なことである。 以上が関係者の証言だ。
 ここに、添野事件は陰謀と内部抗争によって社会的に経済的に壊滅させようとする糸口がハッキリみえているといえまいか。この件について山崎照朝氏は「西野、高橋が逮捕されているのに道場をやっている。陰謀を認めざるを得ないと語る。そして添野事件に関した極真会館の内部事情について「添野は出てきているのに、極真会館の郷田師範をはじめ何人かは三年から五年の懲役で間違いなく入るよと言っている。入らなければ腹を切るという奴もいたそんなわけで仕組まれたと思わざるを得ない。今回の事件は、こじつけの起訴だ。納得できない。彼らがわかってやったのなら、本当に腹を切ってもらいたい」と、極真会館の陰謀説を主張すると共に責任(この場合、腹切り)をとるべきであると語る。事件は単純な事件ではなく、内部事情が複雑に絡みついた事件であることを裏付ける山崎氏や関係者の発言が後をたたない。
 なぜ、このような事件や陰謀が極真会館内部に起こりうるのだろうか。極真会館に関しては大山倍達館長が最高責任者である。この事件が陰謀的事件であるとすればこの事件の責任は大山館長にあるといっても過言ではないだろう。


驚くべき極真会館スキャンダル

 そこで、今回の事件を通して大山倍達館長はどんな人物かということを、極真会館の関係者の"内部告発"をもとに極真会館と大山倍達氏の実体にスポットをあててみることにした。
 内部告発者は二、三人の師範だげにとどまらず、その数は増えつづけていくのであった。今回の事件で、逮捕取り調べをした警察官の一人は「大山倍達氏は戦時中特攻隊にいたという話があったので調べてみると、その事実はないのです」と証言。このように大山館長の自伝には偽りがいくつかある。大山館長は空手をやるまえはプロレスラーでありボクシングをやっていた。「体が大きいのはレスラーだったからですよ」、と大山館長の古き友人のN氏は切り出して、「大山館長はお金にキタナイんですよ。それで現在は付き合っていませんし、付き合いたくもたいですね。」
 これについて、黒崎道場の黒崎健時師範も「大山館長は、いつも生徒に月謝を納めろと言ってた。武道家として先生としての立場は、精神肉体を鍛える人であるべきはずが、大山館長はお金のことをなんべんも言っていた。それは事務所で管理すればいいんであって、先生はあくまでも教えるという立場だけでいいんですよね。
 以前、私が極真会館で師範をやっていたときに、僕の名で除名になった人たちがいたんです。その人たちはなんで除名にたったかというと月謝を納めてない人。それと、外国から来た研修生」。
 ダソクながら"外国から来た研修生"の除名理由は極真関係者の女性といっしょに酒を飲んだり体をいじったり乱交パーティまがいのことをしたため、という。
 この手の"色もの"話は大山館長にも、いろいろあるらしい。
 一年半ぐらいの前の北海道大会のときに、北海道の高木支都長から十六歳の女学生を紹介された大山館長は、売春容疑で警察に逮捕された。この事件は北海道の新聞には報道されており、なぜか「空手家O」という名前になっている。
 黒崎師範は、大山館長の女性問題についてエピソードをいくつか話してくれた」。「通訳をしていたM嬢」「本部にいた女性事務員のK嬢」、「亭主持ちのお手伝いさん」などだが、これも精力絶倫のゆえのようだ。
 英雄は色を好むということわざがあるが、社会的な問題(未成年との売春、間男)を超えたところでの女性関係は、武道家としての作法以前の社会的な道徳問題ではないだろうか。ここにも大山館長の知られざる人間像が浮上してくる。
 次は八百長の証言である。第二回世界大会において八百長事件が少なくとも四つは存在していたという。元極真会館某師範は証言する。
 添野師範は第二回世界大会の会場(武道館)で、大山館長から呼びだされたという。「添野、館長命令だ。ウィリー・ウィリアムスとの試合で八百長をやれ」。と添野師範に指令したというのである。
 大山館長は、大会前にこう語ったという。「絶対に日本人が優勝しなければいけない。外国人に負けてはいけない。チャンピオンは日本人のなかから出なければいけない。これは館長命令だ」。その館長命令が八百長命令と変わっていったのは、ウィリー・ウィリアムスの強さゆえだった。
 大山館長は添野師範に「いいか、三瓶(啓二)とウィリー・ウィリアムスの試合でウィリーが三瓶の襟を掴むから反則負けにしろ。これは館長命令だ」といって添野師範の襟を掴んで説明した。極真会館の八百長の手口は二つある。片方八百長と両方八百長である。ウィリーと三瓶の試合は両方八百長であった。つまり、ウィリーも知っていたのである。だから三瓶選手の襟をわざとつかんで自ら反則負けになったのである。添野師範はウィリーと三瓶選手の主審であった。
 新聞記事を見るとウィリー狂乱と書かれていた。ウィリーはくやしい気持を表現したのではないだろうか。なんとも奇っ怪な話ではないか。<次号つづく>
posted by KarateKid at 18:56| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
大山倍達が北海道で少女買春をし逮捕され、地元新聞に載ったって時期と新聞社の名前がわかれば教えて下さいm(_ _)m
Posted by 元極真 at 2012年05月19日 05:21
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