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2006年06月22日

四天王・添野師範逮捕で明るみに出た極真会館の大スキャンダル(後編) (噂の真相 81年2月号)

レポーター 池田草兵(ルポライター)



ウィリー・三瓶戦八百長の証言

 ウィリー・ウィリアムスは強い。
 極真会館ではナンバー・ワンであった。他の空手の流派をあわせても超一流の強さを誇る武道家である。地上最強の空手家である。
 ウィリーは国際空手道連盟(極真会館)が主催する「第二回世界大会」の会場(武道館)に於て、八百長試合で反則負けになる自分の運命に怒りが爆発した。
 両手を高々と上げて叫んだ声は、地の底から天井まで響きわたったが、言葉にはならなかった。「わざと反則負けになったんだ、俺が正々堂々と勝負をすればチャンピオンなんだ」とウィリーは言葉にして叫びたかったに違いない。もし、ウィリーが八百長試合だといってしまったら極真会館のイメージ・ダウンは当然としても存在すら危険な状態になるだろう。それは極真会館という流派は強さのみ追求してきた組織であるからだ。にもかかわらず裏にまわって八百長の数々をやっていたとなれば、真の武道家はいなくなるのも当然のことである。ウィリー自身、武道家としての誇りまで失なわれてしまうのである。言葉のかわりに"ウオー"と叫んだのは、自分の運命(強さ)を憎んで誇りを捨てなかった戦士の姿がそこにあったのではないだろうか。
 この八百長試合の真相は、極真会館館長大山倍達氏がウィリーの師であるニューヨーク支部長の大山茂師範に"黒い指令"を出したのである。大山師範は館長命令には逆らえず従わざるを得なかった。なんとかウィリーを納得させて試合に出場させたのである。一方大山館長は、試合会場に於て主審の添野師範を呼び付けて同じ指令を出して完全な八百長試合を成立させたのである。
 試合開始直後からウィリーは三瓶(選手)の襟を掴んだのである。そして、結局、添野主審は両名を引き離して"反則"を宣言したのである。この試合の会場で、高い入場料を払って見ていた多くの観客は「不可解だ」と思ったに違いない。目の肥えた人たちは「八百長」であると言い切っていたし、視聴者の誰の目にも不可思議な試合だと気がついたはずである。
 ウィリーと三瓶の試合は片方八百長であった。三瓶選手だけが知らなかったのである。元極真会館某師範は「三瓶選手は日本の選手のなかでは体も大きくて根性もある。確かに日本の選手のなかでは強い。だがウィリーには絶対負ける、ウィリーは強すぎる」と断言している。
 この世界大会の八百長は他にもあったと語るこの某師範は「いまは極真会館の人間だからどの試合が八百長であるといえない。私も近々除名になると思うんだ、その前に退会するつもりでいる。そのときは発表します。いま言えることは少なくとも四つの八百長があったということです。そのなかでいちばん大きな八百長は、ウィリーと三瓶の試合であると思っていただいて間違いない」とも証言してくれた。
 それを裏付けるようにスポーツ誌の編集者のA氏は「大会会場の控室で大山館長と某師範が八百長の話しをしているのを一緒に聞いていたが、どうも東選手との試合のいくつかは八百長だったらしいです。詳しい内容については関係者だから勘弁してほしい」と語る節々に八百長が表面化し始めていることに半ばあきらめている様子が伺えるのであった。前号では取材に応じてもらえなかった主審の添野師範に再度ウィリーと三瓶の八百長試合について取材すべく出向いて行くと添野道場の看板は、極真会館の名が外され「新格闘術士道館」とかわっていた。あいにく添野師範は黒崎健時師範の黒崎道場に打ち合わせの為出かけており不在であったが添野夫人が取材に応じてくれた。
「添野は八百長試合のあった当日の夜は一睡もできずくやしがっていた」と語ってくれた。「たとえ三瓶選手が負けてもいいから正々堂々と試合をやらせたかった。第二回世界大会でウィリーがチャンピオンになってもいたしかたたい、次の大会でウィリーよりも強い選手を育てればいいんだ。外国人に負けることをこだわること事体異常だ。本当に嫌な審判をやらせられた」と夜中に蒲団のなかでひとり言を咳きながら男泣きをしていたと、当時(一年前)の記憶を少しずつ思い出しながら添野夫人は証言してくれた。
 添野師範は極真会館内部の陰謀によって除名されるまで大山館長への信頼は絶対的に存在していた。どんな命令にも従ってきた故に、つらい出来事を他の人より多く味わってきたようだ。そんなとき添野夫人はいつも陰から見守っていたのである。それから数日後、添野師範に会うことができたので八百長試合の事実を確認すると前回とはうって変わって「僕が審判をしていたので良く知っている」と明確に証言してくれた。
 そして、"地上最強の空手"というイメージを創った劇作家の梶原一騎氏も「外人(ウィリー)が優勝したっていいじゃないか、結局は自分のところの弟子には変わりないんだから」と語る心境には大山館長の不思議な行動に理解ができないといったことを暗に示しているようであった。
 以前、テレビで笹川良一氏が「極真会館はコマーシャル空手だ」と発言したことが思いだされる極真会館八百長事件の一幕である。


アントニオ猪木・ウィリー戦にも噂が

 極真会館八百長事件に続いて、もうひとつの情報が取材の先々で筆者の耳に入ってきた。それは「アントニオ猪木VSウィリー・ウィリアムスの"格闘技世界ヘビー級選手権"の二月二七日決戦は八百長」であるといった噂であった。そこで筆者は、噂の真相を解明すべく取材を開始したのである。
「二・二七決戦」当時のポスターやチラシなど見ると「卍固めか熊殺しか、格闘技総力戦争の火蓋は切られた」というキャッチ・フレーズで大々的に宣伝されていた。
 格闘技世界ヘビー級選手権とは、チャンピオンであった猪木がプロレス、プロボクシング、マーシャルアーツ、柔道、空手などのトップクラスの格闘家たちに呼びかけて、力と技を競い合った"格闘技戦争"のことである。いわばプロレスの猪木が強いのか他のジャンルの格闘家が猪木を超えられるのかといった異種格闘技選手権である。この選手権試合では、元プロポクシングヘビー級チャンピオンの"ホラ吹きクレイ"ことムハメッド・アリ、ウィリアム・ルスカ、アンドレ・ザ・ジャイアントなどの猛者たちが猪木と激烈に闘った。これらの格闘家たちに対して猪木は十四戦十三勝一分(引分けはムハメッド・アリ)の戦歴を残したチャンピオンである。そして格闘技世界へビー級選手権は、猪木のプロレス専任のため最終戦を残すだけとなった。最後の挑戦者は熊と実際に闘い、熊を殺した極真会館三段のウィリー・ウィリアムスに決定した。
 二・二七決戦は「力道山VS木村」決戦の再来といわれた。会場の蔵前国技館は超満員(一万二千人)の観衆で埋まり、リングサイド席は五万円の入場料であった。興行収入は一説によると一億五千万円ともいわれているが実際は六〜七千万円位であったようだ。テレビ(テレビ朝日、水曜スペシャルで生中継)の放映料だけでも七千万円といわれている。この二・二七決戦は、不満とシラケの極真会館第二回世界大会の八百長事件とは反対に観客を興奮させ実に楽しませてくれた試合であった。この二・二七決戦八百長説は極真会館の機関紙「パワー空手」の記事などでも暗にほのめかしてあるように関係者の間では常に話題になっていたようだ。
 試合の立会人である劇作家の梶原一騎氏は「このような試合で八百長という言葉そのものがおかしい。八百長でなげれば殺し合いになる。醜い殺し合いをしない前提で力と技を競い合うものだ。極真会館の大山(館長)が言っている殴って殺してしまえ、病院に入れちゃえなんて突拍子もない事を言っていたらプロレスの世界では毎試合死人が出てしまうことになる」と意味深な発言。
 八百長でなければケンカである。プロレスや空手などの格闘技が合法的な殺人ゲームに発展するとすれば、社会的にも大きな問題になるだけでなく法治国家として許されるはずがない。大山館長が殴って殺してしまえと発言するだけでも社会的にも大問題であると同時に、危険思想の持主ということになる。これはプロレスや空手だけでなくボクシング、柔道、相撲などでも同じことがいえるだろう。確かなことはこの試合には事前の打ち合せがあったことだ。
 二・二七決戦のプロモーターである新格闘術総師・黒崎健時師範は「猪木は三千試合も経験しているが、ウィリーにとってはデビュー戦である。誰もいない山の中で闘えば若いウィリーが勝つかも知れないが、大勢の観衆が見ている四角いリングでは経験豊富な猪木が有利である」と解説する。
 試合前からウィリー絶対不利説があらゆる関係者の間から持ち上がった。猪木は百戦錬磨の超一流のプロレスラーである。ウィリーにとってはデビュー戦ということで極真会館への体面も考えたうえで事前に打ち合わせが行われたのだ。


関係者たちの証言構成

 そもそもこの試合の発端は、格闘技世界一を名乗る猪木に対して「けしからん」と怒った極真会館の大山館長の発言で、極真会館の連中が騒ぎだしたことに始まる。そこでニューヨーク支部長の大山茂師範が「ウィリーとやらせましょう」といったのである。つまり火を焚付けたのは大山館長なのである。だがウィリーは、この試合の直前に極真会館を破門させられ、大山師範は謹慎処分を食ったのである。最強の空手を名乗る極真会館が格闘技世界一の猪木に挑戦するのは理解できるが、挑戦するウィリーに不安を抱いて身の安全(破門)を考える極真会館のやり方は理解に苦しまざるを得ない。
 元極真会館S師範は「大山館長は小心者である。なにか起きるとビクビクオロオロしてすぐ逃げる。最初ウィリーと猪木の試合は金になるからやろうよと言ったのも館長なんです」と語る。
 梶原氏は『大山(館長)はウィリーと猪木の闘いは三〇秒でウィリーが勝つと言っていた。三〇秒で勝てなかったのは梶原、黒崎、大山茂、レフリーのユセフ・トルコがウィリーにセーブをかけたと機関紙の『パワー空手』に書いているが冗談を言っちゃいけないよ。ウィリーが三〇秒で勝つなんてありえない。たとえ相手がシロウトでも必死に逃げ回れば空手の達人ですら三〇秒じゃ無理。格闘技なんてある程度のレベルまでいったら差はない。一流のプロレスラー、ボクサー、空手家だって勝負をやるたびに変わるんだ」と語る心境のなかには、試合の際、大山館長が梶原氏をはじめ関係者に対して黒い殺人指令(その事情は後述)を出したことに怒りが爆発しているようだ。そして「俺がこのような発言をするのは、大山(館長)が命を狙うと聞いたからだ」。と語気を強める。
 猪木にしても今日のプロレス黄金時代を築いたことから判断しても実力は水準以上のものを持っていればこそであり、絶大な人気もともなっているのではなかろうか。それはどのスポーツの世界でも同じことがいえる。たとえば野球の長島や王の人気は、実力があればこそファンばスターとして認めるのである。自分はスターだ、カッコいいだけではスポーツの世界では認められない。アイドルとスターは違うのである。実力があって回りの人間が応援し合ってこそスターの存在がある。そこには自然と謙虚な態度が必要なのである。ところが大山館長は、劇画などマスコミで有名になり神様などと呼ばれて本人も思いこみ有頂天になって真の心を忘れていたのではあるまいか。
 そのことについて元プロレスラーであり力道山や猪木にプロレスの技を教えたユセフ・トルコ氏(現在は実業家)は「いまの大山(館長)があるのは梶原先生のお蔭だ。原点に戻って考えろ。空手の世界で強ければそれでいいんだ。だからといって他の格闘をチャカしちゃいけない。極真会館には大山(館長)というガンがある」と、世界に羽ばたき大きくなれるはずの極真会館が、それをできない理由だと指摘している。
 極真会館は日本では、梶原氏の劇画やマスコミの力で有名になったが、海外では知られていないのである。特にアメリカではカンフーは知られているが極真会館の知名度はほとんどないのである。これは海外旅行をした読者ならご存じのはずである。劇画と現実は違うのである。
 アメリカで大山館長が有名であるとすれば、プロレス時代にグレート・トーゴウとタッグチームを組んでいた頃の「マス・トーゴウ・ブラザーズ」の知名度ぐらいはあるかも知れないが、いまではそれすら知っているアメリカ人も少なくなっているはずである。
 トルコ氏は昔から大山館長と仲がよくなかったという。大山館長の恩師のグレート・トーゴウをホテル「ニューオータニ」で殴ったこともあった。大山館長は「けしからん、復讐してやる」と口で言ったものの現実には何もなかったという。トルコ氏は「力道山が生きていたとき、大山(館長)は逃げまわっていた。力道山が生きていれば今日の大山はない。ところが故人になると、ケンカを売ったら力道山は逃げていったと嘘をつく。それにしても梶原先生を殺せ!という大山は卑劣だ。いつでもオレが大山の相手になってやる」と怒る。
 その他、極真会館の演武のなかにも八百長はあるという。大山館長の専売特許ともいえる「ビールビン切り」は、芦原師範が考えて大山館長におしえたのである。ビールビンを火にあて焼いて水に漬けるとヒビが入る。そこを目がけて手刀で打つと簡単に割れるのである。また十円硬貨を指で折り曲げるのもトリックである。黒崎師範は「硬貨を二つのベンチで曲げても簡単には曲がるものではない。ましてそれを指で曲げることなどできない」と断言する。
 これらの八百長演武について大山館長の空手の師である城秀美氏は「大山館長はサーカスの軽業師をやっていた。だからトリック的演武はうまいはずだ」と解説してくれた。
 また、大山館長を有名にした牛との格闘(牛殺し)は、牛の角が弱くなる時期で簡単に角が折れる仕掛があったとか、牛は人間になついている(人を襲うことのない牛)のを選んで格闘したとか極真会館関係者の間では噂されている。こうした話は極真会館をめぐるホンの一握りのエピソードである。


"八百長"当日のプロセス

 さて、世界格闘技ヘビー級選手権試合の数日前。猪木宅の玄関から身長二メートルのウィリーと並んで数名の男が入っていった。関係者の一人は「ウィリーは猪木の自宅で秘かに二人で練習をしていた」と証言する。一方極真会館側では、大山館長が添野師範を本部に呼び出して黒い殺人指令を言い渡した。
「添野、よく聞け、二・二七決戦のとき一ラウンドに乱闘に持って行き、新日本プロレスの新間寿営業本部長と猪木を殺せ。その乱闘で梶原一騎と黒崎健時も刺せ」これは刑法にある"殺人教唆"である。
 当の黒崎師範は「なにを思って殺せと言ったのかいまだに分らない。殺れば極真会館は終りだ。十年かかって築きあげた組織が殺人を実行したら壊滅する」と解せない命令にクビをかしげる。(大山館長サイドのコメントが得られない以上、推測するしかないが、黒崎氏がプロモートし、梶原氏が立会人であったため、金儲けにならない大山館長が怒ったとしか考えられないのだが……)
 二・二七決戦の当日、添野師範は館長命令に従って特攻隊員(道場門下生)百五十名を結成して会場の蔵前国技館に乗り込んだ。特攻隊員たちはメリケン、チェーンなどの武器を隠しながら準備していたのである。そして館長命令を遂行すべく会場のなかに全員消えていったのである。これも刑法でいう兇器準備集合罪である。
 極真会館関係者の某氏は「添野師範の門下生が会場を警備していた。武器などを隠し持っているのを知っていながらも形式的なボディ・チェックを簡単に済まして入場させていた」と証言する。
 ここに黒い殺人指令の全容が表面化するに致ったのは、極真会館の内部抗争ともいえる陰謀的な添野事件(前号にて詳しく前途)で被害者である添野道場(現在士道館)側の発言で明るみに出たのである。
 このような殺人教唆を白昼堂々と命令している極真会館の大山館長に、警視庁捜査四課と添野事件を担当した埼玉県警捜査四課が現在ある容疑で内偵しているとの情報が噂されている。
 この殺人教唆の被害者といえる梶原氏は、「チンピラ芝居みたいなことを言っているのなら軽蔑する。まだ大山(館長)とは義兄弟だ。殺せと言ったことが本当なら解消してもいい。そんな不可思議なことを言ったら大山の右腕左腕で守ってきた人たちは全員シラケてしまう」と語る端々に怒りが感じられた。
 格闘技世界ヘビー級選手権の会場は、超満員の観衆が見守るなか午後七時四五分に試合は開始された。
 ウィリーは、ミステリアスな感性と深い思考力を持った格闘家であるが、興奮した会場の雰囲気に終始上がりっぱたしだった。デビュー戦のウィリーの緊張した姿があった。
 試合のルールは、ウィリーが8オンスのグローブをつけ交換条件として猪木の寝技は五秒間と決められていた。試合は一ラウンドから場外に縺れ込んだ。梶原氏は「ウィリーは、リングの外に落ちると必ず猪木の上になる。あの反射神経は大したものだ」。と語るように、猪木は場外に落ちると必ず下になってウィリーに殴られていた。そこで添野師範は、黒い殺人指命を遂行するチャンスとばかり猪木に近づこうとしたが、プロモート役の黒崎師範に腕を押えられ、行けずじまい。添野道場側は「猪木と新間営業本部長はやるつもりでしたが、黒崎師範と梶原先生に対してはなにもやるつもりはありませんでした。私の感触では館長は試合を潰すことが目的のように思われました」と証言する。
 試合の結果は、四ラウンド一分二四秒場外乱闘から猪木が左ワキ腹打撲。ウィリーは右ひじケン破裂でドクター・ストップがかかり引分けとなった。この試合の四ラウンド目に、添野師範は、リングに上がりウィリーのグローブをハサミで切り外ずして素手で猪木をやれと一人気を吐いた。そして試合後控室に新間営業本部長が数名のプロレスラーをつれてきて、大山師範とケンカになり、添野師範は新間営業本部長にヒザ蹴り一発をくらわせた。新間氏は苦しそうにうずくまったという。
 試合の翌日、添野師範は「ひとり踊らされたみたいだ、黒崎師範にタクシーのなかで猪木とウィリーの試合は、力と技の競い合いである、大山館長がいっている殺し合いでたいと聞かされたときはガクッとした」と正直に語ってくれた。大山館長をはじめ極真会館サイドでは最初から殺し合いと感違いしていたのである。
 黒崎師範、添野師範、梶原氏など試合に関係した極真会館側。そして新日本プロレス関係者の証言を総合すると、前述したようにリングの止での試合なら猪木が絶対有利であり強いが、誰もいない山中での試合だったらウィリーが勝つ可能性もあるということであった。結局、極真会館の顔を立てて引分けした結果と思われる。それにしても猪木の試合進行のかけひきは、"千両役者"ものだった。
 格闘技世界ヘビー級選手権のウィリーVS猪木戦の興行は、梶原氏(立会人)にとって一円の収入もなく出費だけで終った。一方プロモーターの黒崎師範も出費が重み結局赤字となった。黒字は新日本プロレスのテレビ放映料によるものだけである。梶原氏は「このような興行は一回では儲からない、二度三度と興行するうちに利益があがるのである」と語り、大山館長が儲けていると勘ぐっているんじゃないかともらす。
 この間、大山館長は、試合の数日前から日本を出国してカナダ、アメリカから何度も添野師範に電話をしていた。試合が終ると、帰国して四人を殺していないのを知ると、添野師範を本部に呼びだして怒ったのである。いまにして思えばこの頃から大山館長の添野追放の気持が芽生え始めていったのではなかろうか。


添野事件とは何だったのか

 添野師範が極真会館を除名されたのは事件発生前の九月八日であった。国際空手道連盟(財)極真会館では緊急評議会が開かれた。
 出席者は大山館長、河合大介評議員長、風呂中斉評議員(講談社)、館孫蔵弁護士であった。この緊急評議員会で、添野義二都下埼玉支部長、森井義孝埼玉支部理事長、芦原英幸愛媛支部長ら三名の除名が決定された。
 九月十一日。大山館長は添野師範を本部の館長室に呼びだした。大山館長は「お前は二代目(極真会館)だ。なにか悪い事はしていないか。埼玉県警の押岡警部から連絡があり添野はヤクザ者で逮捕は時間の問題だといっている」と尋ねたのである。添野師範は、極真会館内部の陰謀的事件を知らず「なにも悪い事はしていません」と答えたのであった。
 既に除名処分が九月八日に決まっているのに三日も過ぎてから「お前は二代目だ」と言う大山館長の不思議な行動と発言は理解に苦しむところだ。
 添野事件は、都下埼玉支部の勢力が大きくなり分支部が増えることによって極真会館側が各支部を吸収して利益の拡大を計るために郷田師範をはじめ盧山埼玉支部長らが手先となって画策した事件であることは本誌前号で述べた。それに便乗した大山館長にも責任はあるだろう。この添野事件によって極真会館関係者の多数の逮捕者(西野熊谷支部長、高橋川越支部長他)を出しながら添野師範以外は処分されず、極真会館の看板を出して空手の道場を開いているのは明らかな矛盾である。しかも裁判の結果もみずに除名処分にした性急な行動にも矛盾だらけの組織であることが窺えまいか。添野師範が逮捕され留置所にいる時にも大山館長は、一度も差入れもせず電話の一本もかけず突き放したのである。かつて破門され近々破門を解かれるという話が伝えられているウィリーも「極真にはアイソがつきた。いかなる理由があれ復帰する気はない」と全面否定。
 添野夫人は「子供(小一)が学校に行くと、上級生(五・六年生)にいじめられて泣いて帰ってくるのです。学校に行きたくないという子を叱り付けて無理矢理学校に行かせました。こんな極真会館は全私財を投げ売ってでも潰してやりたい気持です。血も涙もないと思いました」。つらい毎日を振り返り涙を浮かべて心境を語る。
 新格闘術士道館という名は、留置所のなかで考えた名であるという。所沢警察の留置場のなかで「最初は大山館長の悪口を警察官から聞かされると怒っていたのが、やがて極真会館の陰謀と気がつくと、留置場の壁を手が腫れるまで叩き悔しがっていた」と留置場で同室だったテキ屋のS氏は証言する。
 極真会館側は添野師範が逮捕留置されているとき「三年から五年は刑務所に入る。だから添野道揚をやめて極真会館についてこい」と各分支部に"通告"したのである。
 城西大学空手部の阿部主将は「押忍。極真会館から何度も電話があり添野師範とは手を切れ、三年から五年は刑務所に入ると言われた。でも我々は添野師範を信じていました」。城西大学空手部は、添野師範が創設者となり貢献してきたところである。そこまで極真会館は陰謀の手段をとるのである。城西大学空手部全員の襟から極真会館のバッチが外され道場から大山館長の写真も消えていたのが印象的であった。
 添野道場(士道館)側は「添野のいまの心境は新選組の土方歳蔵と同じ。極真会館にいる人たちは、極真会館の名でなんとかしようとしている人たちが残っている。逮捕される前、全盛期は三千人いた門下生が現在二百人しか残っていない。これから試練はあるが武士道に反しない真の武道を志ざすつもりです。また強いだけでなく、他の流派とも交流しながら楽しめる空手をやるつもりです」と反省を踏まえてこれからの方針を語る。
 結論を急ごう。「全国に散在する極真会館の支部は金で買える」との噂がある。取材調査すると、千葉県支部長の小嶋幸男氏は洋服屋であるにもかかわらず支部長になっている。S師範は「空手のできない人が支部長を金で買っている。広島支部長の森周治、愛媛支部長の高見成昭もそうだ」と証言する。
 性急な判断かも知れないが、結局のところ組織を拡大し、権力の座についた大山館長にとって武道への志は、いつしか金に置き換えられていったように思えるのである。
 今回の取材を通して、明るみに出た極真会館の内幕の数々は、まだある。筆者の机の上は資料が山と積まれている。それにしても残念なことは、極真会館・大山館長側が「除名した弟子のことは何もいいたくない」と取材に応じてくれなかった点だ。
 最後に、添野師範が大山館長に対して、いつでも真相を明らかにするためマスコミ対決の用意があることを告げて欲しいと語ったことをつけ加えておこう。〈了〉
posted by KarateKid at 22:18| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
大変貴重なお話を読ませて頂きました。

自分は以前ライター(音楽関係)をしていた時に仲間のライターが新間氏に直接聞いた話があります。

混乱する会場で目の前に添野君が現れた。「殺される!」そう確信した時に素早く近寄った添野君が「倒れて下さい。」

っといきなり言って来た。何かあると思いながらもその場で倒れこむと、

「新間をやったぞ!」

っと添野君が叫んだ。そると数人の極真の人間が雄たけびを上げて全員で逃げていった。私は添野君に助けてもらった。

という話です。ご存知かと思いますが参考までに。
Posted by イタチ at 2015年12月30日 14:50
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