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2006年06月23日

極真会館大山倍達と劇画界の首領・梶原一騎の義兄弟神話の崩壊 (噂の真相 81年5月号)

レポーター 池田草兵



極真会館スキャンダル第三弾!


 本誌一月号、二月号で連続掲載した「添野逮捕で明るみに出た極真会館の大スキャンダル」は様々な反響を呼んだ。おそらく、極真会館につきまとう恐怖のイメージがマスコミ関係者に浸透しているため、"さわらぬ神にたたりなし。といった自主規制意識が働いた結果、マスコミタブーとなっていたためであろう。本誌発売後、各方面のマスコミが取材に動き始めたのも事実である。しかし、いずこも途中で企画を中止、活字としては日の目を見なかったのである。極真会館に恐れをなしたのか、一部マスコミではコワモテとして知られる劇画界の首領(ドン)・梶原一騎への"遠慮"なのか定かではないが、ある種タブーの空気が編集者たちの歯止めになったことだけは確かだろう。
 それと同時に梶原一騎の『空手バカ一代記』に象徴される極真神話の内実があまりにも生々しく、スキャンダラスであったこととも無関係ではあるまい。
 その後、極真会館サイドからは、郷田師範、盧山師範、西野熊谷分支部長、西浦和分支部長、久米事務局長、"極真応援団"平岡正明といった面々が入れかわり立ちかわり抗議にやってきた。結局、前回の取材で拒否の意志表示をしていた大山館長が三日にわたる長時間インタビューに応じてくれた。筆者としては、前回の特集は、大山館長の取材拒否にあったため、やむなく、極真を除名されたり、去っていった人物、極真に近い第三者の取材で構成せざるを得なかったが、今回は、双方の主張を盛り込んで、より"真相"に近いレポートとしてアタックすることができた。


梶原一騎と大山館長の確執

"あらゆる犯罪は革命的である"という平岡正明の言葉を借りるならば、"あらゆるスキャンダルは革命的である"。クサいものにフタの精神では、世界にはばたく極真も先が見えている。当レポートは、あくまでも極真の組織活性化のプロセスへの布石となれば、の思いをこめてお届けする。
 今日ある、極真会館及び大山館長の伝説は、マスコミが大きく関与してきたからである。
 マスコミの協力と援護射撃がなければ、いかに優れた空手流派であっても町道場の域から抜け出すことは不可能である。その意味でイの一番に登場する極真会館の大功労者は、劇画界の首領(ドン)梶原一騎(劇作家)であることは誰しも認めるところだ。空手ブームを日本中に巻き起こした劇画『空手バカ一代』が極真会館に大きく貢献したからである。
 梶原と空手界の首領(ドン)・大山倍達(極真会館館長)との仲は、友情を超えたところに存在する「義兄弟」という名の契りで緒ばれている。それは、二十年間の長き交友関係で自然と誕生したキズナであると思われる。
 だが、最近になって大山館長と梶原の仲が急に冷え始めて反目するようになってきたのである。二人の間を知る関係者の殆どが「一年に一回は定期的なケンカで、年中行事である。今回の反目も元の鞘に納まり近い将来解決するのでは」と見るのは、おそらく両者の関係には第三者には知りようのない根の深い事情が絡み付いているためであろうが、そう簡単に仲直りするといえるかは疑問である。 ここに某関係者スジから入手した極秘資料の中に、梶原と大山館長の不仲を証明する二人の間で取り交わされた内容証明がある。日付は昭和五六年二月二一日で、梶原の秘書室長川島茂が大山館長に発送した内容証明である。少し長いが全文を載せる。二人の確執が赤裸々に伝わるはずである。
《貴下は梶原一騎・黒崎健時、両氏をはじめとする、物心両面にわたる援助、協力によって今日の地位を得たにもかかわらず、昭和五五年二月二七日、蔵前国技館にて行われた、アントニオ猪木、ウィリーウィリアムス戦に際し、その興業収益金の分配をめぐり、貴下には当然その権利がないものと判断した。同興業プロモーター黒崎健時らに対し、元極真会館埼玉支部長添野義二の証言によれば、その判断を不満とした貴下は「もし、ウィリーウィリアムスがアントニオ猪木に敗北するような事態が生じた場合、極真会の信用にかかわる」との貴下自身の判断に基づき、同興業の主たる関係者である、
 元極真会館師範代現新格闘術黒崎道場主 黒崎健時、
 元極真会館審議委員長 作家梶原一騎、
 新日本プロレス(株)代表取締役 アントニオ猪木、
 同マネージャー 新間寿
の殺害を極真会館埼玉支部長添野義二ほかに下命し、これに同調した約二十名の門下生と共に添野らは同試合会場内を徘徊した、この間貴下は支部視察と称し、渡米し現地から国際電話により、添野に対し前記下命事項を伝達続行した。
 幸いにも同試合は、両者引分けに終ったものの、もし猪木が勝利を治めるような事態が生じたならば同試合の主たる関係者である黒崎健時、梶原一騎、アントニオ猪木、新間寿に対する貴下の殺害命令は推行未遂、もしくは推行されたであろう。その事は試合当日貴下の下命に従った添野の新間寿マネージャーに対する膝蹴りによる暴行の事実(全治一週間)からも充分見分できる。
 この暴行の現場に多数の報遺関係者等がおり、その事実の一切を関係当局に訴えるべきだ、との声があったが新間は格闘枝の将来を考えこの事件を不問にした。
 帰京後の貴下は、同試合内容、及び新間のダメージが少なかった点を大いに不満とし、後にこの件に関する実行行為者である、当時極真会館埼玉支部長添野義二に対し喝責し、責任を感じた添野は自暴自棄となり、暴行恐喝行為を行い、この事態をいち早く知った貴下は、添野逮捕を予測し極真会館の体面維持のため破門処分とした。
 昭和五三年五月頃、埼玉支部吉川某、北海道支部長高木某などを梶原の許え拳銃携帯で送りこむ如きは言語道断である。
 高木某は同じく貴下の教唆にて愛媛支都長芦原英幸殺害の目的で同人の居住地である愛媛県松山におくり、同人に面会を求めたところ貴下の教唆によるものと自白しその罪の一切を認めた。同自白の一切をテープに収録し証拠として必要の時期まで芦原の手許に保管し、いつでも関係当局に証拠品として提出の用意がある。
 尚、梶原主宰の三共映画(株)から一億円もの大金を映画撮影権利金として受領しながら、その条件である数回の海外出張協力に僅か一度のみしかロケ隊と同行せず、その他クライマックス世界大会運営上の公開を憚る理由も重なり当映画『最強最後のカラテ』は無残な失敗に終った。
 現在まで良識ある我々は、貴下自身及び、貴下の関連したすべての違法行為(北海道におけるハレンチ行為)に対し、極真会館の将来を考慮し、不問にしていたが、現在に至り貴下の一連の行為に対し、誠意ある謝罪を求めるものであり、万一それが実施されない場合、我々はあくまでも、公正な立場から全マスコミをはじめ、あらゆる関係当局に、この事実を公開するとともに、必要手続を行う考えでいる。
 最後に小生も昨年までSPとし警視庁に奉職し、実兄は現在本庁警部の要職にある事を付記しておく。
  昭和五六年二月二十日
 大山倍達殿
 附紀
 尚貴殿は最近、梶原一騎氏の実弟、真樹日佐夫(本名高森真土)氏を特攻隊と称する門下生一〇名を組織して大怪我をさせよと担わせ、弟思いのある梶原氏の追求を封ぜんと企んだ旨を、現在極真会館、本部道場生の真樹氏の後輩が名を称して真樹氏の母親の元え身辺の要心してほしいと電話連絡が入っている事実がある。
 尚この事実は、元愛媛支部長芦原英幸氏、又元埼玉支部長添野義二氏の両名の元えも本部に残る後輩から連絡が入っている旨を附記しておく》(以上が原文のまま)
 かなり誤字が多いが、梶原の大山館長に対する怒りが窺える内容証明である。
 これに対し極真会館側は、樋口都久二事務局員を通し梶原に内容証明で返答している。


梶原文書に対する極真側の態度

《拝復 昭和五六年二月二一日付、貴殿よりの「内容証明」の内容につきお答えいたします。
 先ず当会館の今日の発展が、梶原先生並びに無数の支持者による御助勢と同時に、極真カラテ創始者大山倍達館長のそれを上まわる血と汗と涙の精神の賜物であることは、万人の認めるところと信じます。
 また大山館長が、常日頃梶原先生に対し十数年前から現在に致るまで、一部下々の無責任な噂はいざ知らず万年一日の如く、その友情と尊敬の真情を抱いていることは十分に御承知おき頂く必要があります。
 総じて右の「内容証明」文中の御指摘の事項は、失礼な表現をお許し願えるのであれば荒唐無稽なる類であり、本来は無視することも許されるものと思われるのでありますが「礼節と信義」を尊ぶ極真精神に則り、御返信差し上げる次第であります。
 尚この間、右の「内容証明」を発せられるような貴殿の誤解を生んでいるものがあるとすれば、それは何等かの虚偽情報が作為的に貴殿に提供され、大山館長と梶原先生、真樹氏の間に離間を図るべくその信頼関係をことさらに破壊しようと試みたものと言わねばなりません。このことは時間の経過をもって証明されるでありましょう。
 《ウィリー、猪木に関する御指摘について》
 大山館長はこの件に関し全く関係しておりません。梶原先生のご存知の通りであります。
 《添野恐喝事件に関する御指摘について》
 当件は誠に残念な事柄であり、大山館長は師弟の間柄であるだけに大いに困惑していることを率直に申し上げたいと思います。
 《高木某、吉川某による殺人教唆云々との御指摘について》
 当件は全くあづかり知らぬものであり、理解に苦しむところがあります。
 《海外ロケに関する御指摘について》
 大山館長は撮影に支障無きよう自ら海外支部に赴くばかりでなく、行くことの出来ない所に対しては国際電話を通じて、再三再四撮影協力に対する指示をしております。撮影進行に対し何等の支障も無かったことは梶原先生の良く知るところであります。
 《特に黒崎健時氏につき述べられた点について》
 下々に大山館長と黒崎先生の不仲を云々する者があるようですが、大山館長は同氏とは三十数年来の弟子であり、かつ良き友人であり、折に触れてその武勇や人柄を紹介し、その都度「彼については一緒に居なくとも逢わなくとも、その心情と言動はハッキリとわかる」と明言され、その友情と尊敬の念の不変であることを吐露し続けていることをお伝えしたいと思います。
 《特に梶原先生につき述べられた点について》
 大山館長はこれまで、名文が立つ申し出についてただの一度も拒否したことは無く、約束した事柄は必ず守り実行してきました。このことは大山館長が「友清とは斯くあるもの」と誇りにしているところであります。梶原先生も同じ御心情であらせられるものと確信するところであります。
 よって梶原先生街自身或は真樹氏、親愛する御母堂に対し、殺害云々があろう筈がありません。
 以上、貴殿からの「内容証明」に対し事務局に於いて応答するべき責があるものと考えますので回答を準備いたしました。敬具
 昭和五六年二月二六日
 川島茂殿》(原文のママ)
 この内容証明をみる限り梶原が肩スカシを食わされた格好となっている。梶原と大山館長の内容証明は、代理人の秘書同士によって行なわれたものだが、二人の不仲を決定的に物語るものといえよう。


梶原との離反は極真内部からも要請が

 極真会館の伝説は、梶原がマスコミでイメージを定着させて神話化した。それは大山館長だけでなく誰しもが認めることである。
 その伝説をつくってきた当の二人の関係が決定的に破産するような周囲の動きもある。
 極真会館春季全国支部長会議が二月に開催され、全支部長(約三十名)は、梶原と真樹師範の両名は、極真会館にとって不必要であるといった内容の決議文を、全支部長の名を連記して作成したのである。某支部長は「梶原先生の大功労は認めるが、いまや極真会館のガンだ」と語気強く不満を語る。盧山支部長も「梶原氏と縁を切るという方向で支部長会議は進んでいる。その意味で館長はつき上げられている。問題は切り方です。後を残さないように切ることです」という。
 現在、全支部長の決議文は大山館長の手元にあるらしく最後の決定を踏みとどまっている段階と思われる。大山館長は「人間別れ際が大切だ。キレイに別れるためには時間が必要」といい、梶原について「あくまで我慢するところまで我慢する」と語る。
 だが支部長の殆どが梶原を嫌がっているのは事実であるようだ。それは極真会館の伝説を創りだした劇画『空手バカ一代』の連載に問題の原因もあるものと思われるのである。
 大山館長は『空手バカ一代』の連載中に「梶原先生は、極真会館の審議委員長だから全支部長を万遍なく載せてくれ」と頼んだが、見解の相違から問題が起きたというのである。梶原は「彼(大山館長)の言う万遍なく載せてジェラシーを起こさないでやって下さいというのも一理ある。だが力のない支部長は載せられない。有能な青年空手家の添野、芦原、大山茂といった自他共に認められる人たちを出してこそ話になる」と作家としての立場を主張する。元極真会館某支部長は「千葉の小嶋幸男支部長は、道場開きのときの演舞で角材割りをやったが、自分の肋骨を折って救急車で運ばれ入院したエピソードがある」と証言するように、実際は劇画の主人公にはふさわしくない支部長が数名いるのも事実である。
「問題はここから生まれた」と言って大山館長は、一冊の本を机の上に置いた。『わが空手日々研鑚』(講談杜)とタイトルのついた大山倍達著の単行本である。このなかに「梶原君」と書いてあったことに「梶原は激怒した」というのである。『日々研鑚』の担当編集者風呂中斉は、極真会館の評議委員も兼ねている人物である。講談杜では、『日々研鑚』、『一〇〇万人の空手』、『わが空手五輪書』『私の空手道人生』『極真会館世界を征く』(写真集)、『一撃必殺空手いのち』『マス大山空手百科事典』(近刊)など大山倍達著(極真会館編)が出版されている。
 風呂中は「大山空手には興味があったが講談社で取り扱う人物(大山館長)であるかどうか迷った。ところが『少年マガジン』で『空手バカ一代』が連載されて社(講談社)も認めたということになって、最初に『空手道人生』という本ができた」と『空手バカ一代』の実績があればこそ大山倍達著の本も出版されたといきさつを語る。が、極真会館側は『空手バカ一代』が始まる数年前に『一〇〇万人の空手』は出版されたと主張する。
 問題が起きた『日々研鑚』の「梶原君」事件について風呂中には「これは誰が書いたという問い合わせが梶原氏からあってからおかしくなった」という「それで、どしゃ降りの雨の中、夜中の二時から、五時にかけて十数回も電話があって、梶原氏が女房に私を叩き起こせといわれた。これは常識を疑う行為である」と語る。結局、「梶原君」と表現した部分は削除された。関係者の証言によると「内
容があまりにもいいのでヤキモチを焼いたのでは……」と抗議は梶原の嫉妬であると分析する。


極真の変貌と添野切りの狙い

 昭和五三年三月十日付で梶原は財団法人極真奨学会の理事と極真会館の審議委員長を辞任した。その後に、梶原が『空手バカ一代』連載前から交際しかわいがっていた有能空手家の芦原師範と添野師範が、昭和五五年九月八日付で極真会館から除名された(本誌一・二月号で詳述)。梶原は「俺が審議委員長なら除名など絶対にさせない、いまは顧問だから……」と語気強く残念がる。
 だが極真会館の支部長たちの一部は梶原が認める添野師範と芦原師範の二人を恐れ嫌がっていたのも事実である。盧山埼玉支部長は「添野は日本の北半分をもらったと言い、地図を広げて何々県は俺のものだとか勝手に決める。その支部長は、たまったものではありませんよ。芦原は西を制覇するとか言っていた。この二人には、他の支部長たちにとっては恐怖を感じる存在でした」と除名になった両師範について語る。一方、この度の事件で懲役三年、執行猶予四年の判決が出た添野師範(現新格闘術士道館主席師範)は「何を恐れ嫌がる必要がある。男なら堂々としていればいい。武道家として自信があるのなら受けて立つべきだ。本気で他の支部を制覇することはできないと知っているはずだ。だが、いまは"士遺館"という名で全国制覇する。それは極真会館の師範ではできないことであった」と再出発について語る。そして、日本格闘術連盟の会長である梶原は当然新格闘術士道館を支援しているのである。
 添野師範の再出発について「士道館」の荒井広事務局長は「北海道に城西大学と立正大学の両空手部OBによる所属道場と新潟、伊豆大島にも同道場を発足させた。現在日本全国に十数ケ所の士道館所属道場が誕生している。この中でも川越の二百坪の道場は三月二一日に完成した。また秩父に二千坪の総本部道場が六月一四日に道場開きをする予定である。事件後多くの後援者によって、この様に励まされている。また五月二日に、ホテル・グランドパレスで発足会。五月三十日には後楽園ホールで新格闘術世界チャンピオン藤原敏男、斉藤京二、内藤武士、紅斗志也他の格闘士らによって士道館の発会試合が行なわれる。藤原は"六ヶ月ぶりのリングで腕がうずいている"」と語っているそうである。ともあれ、"邪道空手""ケンカ空手"として攻撃的な魅力で売りだした極真会館は、格調高い理念のある空手を目指し変貌しつつあるようだ。それは、極真空手が単に強い空手だけでなく思想を持ちはじめ、三大流派の一つとして本流の道を歩きだしたものといえる。
「本流になることによって、攻撃的な空手家(添野、芦原両師範)が排除され、不必要になったのでは…。いまの極真空手は守りの空手であると思う」と格闘技評論家の一人が語るように、極真会館の伝説にある恐怖的な強さのイメージは消えつつある。いまや"紳士的"な武道家ばかりが極真に多く残っているのが何よりの証拠であると語る人たちもいる。ここに、前回のレポートで書いた極真の添野師範追放の真意な見てとることもできよう。
 大山館長自身も「極真会館は曲り角に来ている」と現状を認める。これは時代の流れによるものでもあろう、戦後の動乱期に、大山空手は誕生した。そして高度経済成長時代に極真会館は、梶原の手によってさらに伝説化された。
 大山館長は「全支部長及び極真会を支持してくれる数多くの人たちの力で、過渡期を乗り超えられる」と自信を持って語る。だが極真空手の今後の課題は決して容易ではないと筆者はみる。


毎日が報じた脱税事件の舞台裏

 二月一八日、毎日新聞の社会面に「極真会館一億一千万円の脱税で摘発」という記事が大きく載った。大山館長が経営する「マス・大山エンタープライズ」が東京国税局に所得隠しで摘発されたという事件である。この「マス・大山エンタープライズ」の監査役に俳優の藤巻潤(本名藤巻公義)がいる。大山館長の二人目の夫人・昭子さん(元ミス東京)の弟なのである。このマス・大山エンタープライズは、昭和五一年六月二九日に設立された。極真会館関係の興行やテレビ、会員への空手着などを販売する極真会館の翼下にある有限会社である。この一億一千万の脱税のうち一億円は、梶原が経営する三協映画(株)ら映画『最強最後の空手』の撮影協力金として五千万円の手形二枚で支払われたもの。この際大山館長は「映画製作に全面協力し、協力料として一億円を受領する。協力が期待するものでなかった場合は返済する」という趣旨の念書を書いている。大山館長は「映画が不振の場合、半分の五千万は梶原氏に返すつもりでいた」と語るが、国税局側は、三協映画が『最強最後の空手』製作の原価に計上されているので、借入金に根拠なしと判断した。大山館長は「あれは脱税ではないよ。第二回世界大会のとき映画『最強撮後の空手』を撮影することになった。そのとき世界大会の協力金として一億五千万円くれと言った。梶原先生は、一億五千万円を東映で借りてくるので、五千万円は(撮影)経費で使用して、一億円を世界大会の費用にしようと言った」と脱脱について否定するが、実際は仮装隠ぺいによる脱税にかけられ重加算税の対象となり、法人税本税と合わせて二千三百万円が追徴されたのであった。
 一方、梶原側は「大山(館長)が一億円を借りていると言っているが、本当なら税務署の立合いのもとで返済しろといいたい。借入金なら俺のところに借用書がなくてはいけない。それが領収書があるんだから。税務所が入るということは、警察が入るということのジャブなんだよ、フェイントなんだよ」と語気を強める。この脱税問題だけではなく、あらゆるところで、梶原と大山館長の両者は食い違いがある。
 梶原は「映画の撮影のときアントニオ猪木は、最高に協力してくれるが、金は一円も請求しない。大山(館長)は見習うべきだ」と金より宣伝効果が大切であると語るいまや梶原と大山館長の両者は、まったく油と水である。


マス・大山カラテスクールにも火種が……

 最近極真会館には、昭和四九年十一月一日付で梶原プロダクションに譲渡されているマス・大山空手スクールの問い合わせ電話が殺到しているという。電話の内容は「通信教育を受けるためにお金を支払って十四日以上過ぎているのに連絡もない」というもので一カ月に、五十件位になるという。
 大山館長は「金だけ受け取って品物を送らない。毎日こんな電話で休まる暇がない。校長は名だけで関係ないとはいえない。当然責任もある。これから弁護士と相談して辞任する方向にいきたい」と語る。
 マス・大山カラテスクールは、極真会館で赤字経営だったために梶原プロに七千万で譲渡したものである。その目的は、極真会館が主催する第二回世界大会の資金蓄積にあったといわれている。この赤字で存在していた、マス・大山カラテスクールは、真樹師範の必死の努力で再生させて、いまは成功しているという。だが金銭問題になると梶原と大山館長の意見が食い違うのである。梶原側は「七千万円払った」と言い、大山館長側は「第一回世界大会のときに、三干万円を梶原先生から借りた。そして二千万円を寄贈してくれた。全部で五千万円です」という。そして「譲渡契約にあるパーセンテージは、最初の頃は貰っていたが、いまは貰っていない。給料も最初十万円貰っていたが、ここ、二〜三年は給料はありません」と大山館長は語る。
 梶原は「大山(館長)は、俺のお陰で二億円近く儲けている。マス・大山カラテスクールを譲渡したときに、空手着の販売権はこっちにあった。それをマス・大山エンタープライズなんて会杜設立して販売する。これは違約だよ。『カラテ・マガジン』を売った後に『パワー空手』を出版する。細かく言えば、みんな約束違反だ」という。梶原と大山館長の両者は、まったく相反するといった言い分がなされているのである。
 こうした事情を踏まえて極真会館側は次なるマスコミ対策の布石として、梶原の残した遺産のなかからいくつかマスコミ人脈を開発しはじめているようである。極真会館の陰には、常にマスコミと密着作戦があるようだ。マスコミを利用して大きくなった組織の宿命なのでおろう。大山館長の本を手掛ける出版社の数は十数社。発行された大山倍達著作の単行本は、これまで三十数種類に及ぶ数にのぼっている。一方マスコミ関係者の間では、大山館長支持派と反支持派(梶原派)に分裂しつつあるといわれている。
 マスコミによって大きくなり、神話化されてきた極真会館、そして大山館長は、いま、避けられない試練の渦中にあることは確かなようだ。極真会館の館長室に飾られた、梶原、大山両人が仲よく並んでいる写真の撤去も時間の問題というそうである。〈敬称略〉
〈取材協力・本橋信宏〉
posted by KarateKid at 03:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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